bleibt_laenger’s blog

日独比較文化などなど

「察する文化」から「語る文化」へ?(中島義道氏の著作から)

カント哲学者として著名な中島義道著に『うるさい日本の私』という本がある。
(1996年に出版されたこの本は、他の出版社からも発行されるほど読まれているので、
読んでいない方は是非一度読んでみてほしい。)

著者の中島氏は、”~にご注意ください”のような善意を元に街中で垂れ流されている自動音声に対して、モンスタークレーマーのごとく突撃する姿を自虐的に描いているのだが、
おぼろげながらその本で覚えているのは「察する文化」から「語る文化」への同氏の主張の部分だ。当時はなんとなく、筆者も共感していた主張であるが、ドイツに20年以上も住んだ今から見ると「結局西洋文化の押し付け?」に見えなくもない。

一方で、この著書は、いろいろな方に批評されている。特に注意を促す自動音声は、注意を促していないことに対する一般市民のクレームを恐れた「注意してますよというアリバイ作り」的な、日本社会の無責任の体質であるとの指摘をされていた方もいたように思う。なるほどそうかもしれないが、筆者から見ると中島氏の著作も上記の指摘も、もっと大事なテーマが見過ごされている気がして、腑に落ちない。

例えば、中島氏の言うように「語る文化」を推奨して、自動音声を止め、アルバイトで雇った人に直接言わせてみよう。何件かのケースにおいて、「どんな権限でお前がそんなことを注意するんだ?」と強く反論されてしまうのではないか?それを防ぐためにYouTubeに出ているような強面の喧嘩自慢の方をアルバイトに雇ったとしよう。その強面にビビらない人以外は、むしろ言われた注意に素直に従ってしまうのではないだろうか?実は割とドイツでは現実がこんな感じで、自動音声がない代わりにイカついお兄さんやお姉さんがきつい調子で他者を注意することが多い。筆者の実体験でいうとこんな事があった。コロナ全盛の時、ドライブスルーの検査場で筆者がコロナの簡易テストの順番待ちをしていたところ、前の車の女性がマスクをしてなかったらしく、検査場のお姉さんと揉めていた。ドイツ語のきつい調子を日本語に直すとこんな感じの会話であった。

検査場のお姉さん「今すぐマスクをしろ。」

前の車の女性「やだよ、意味ないじゃん。」

検査場のお姉さん「マスク無しなら検査しないから。ここから出ていけ、警察を呼ぶぞ!」

前の車の女性「・・・」

検査場のお姉さん「今すぐ出ていけー!!」*怒鳴る

バリバリの命令口調である。言われている女性も一歩も引かなかったが、とりあえず検査エリアからは車を移動させ、警察上等の態度で誰かと電話して待機していた。もちろんこれは割と極端な例だが、どちらも強い口調に対してある意味冷静というか、腹が据わっている。筆者の私見ではあるが、ドイツでは秩序を破るものに対して、注意する方はほぼ命令形の強い口調で伝え、それに対して、言われた方は太々しい態度で仕方なく従うか、無視、反論することが多い。いずれにせよ、「口調にビビりながらただ従う」というケースはほとんどお見かけしない。その代わりに激昂して掴みかかったりすることも少ないように思う。

中島氏は著者の宣伝で「戦う哲学者」と表現されていたが、「語る文化」を実現すると、常日頃から戦う覚悟(知らない第三者に物を申す覚悟)を持たなければならなくなる。だが、そもそも日本人社会は、そんなものが望まれていないのだ。上記の会話は、「緊張した・緊迫した」「怒鳴り合いになる可能性のある」または「物理的な喧嘩に発展する可能性のある」否定的な、-筆者が以前ブログで述べた-「ネガティブコミュニケーション」であり、そして、自動放送はそうした「ネガティブコミュニケーション」が持つ「緊張・緊迫」感を避けるために採用された、他者を出来るだけ否定しない日本文化の一側面なのではなかろうか。

逆に言えば、その文化に慣れ親しんだ日本に住む人は、緊張・緊迫状態に傾向的に弱くなっていると思うのだ。この「語る文化」の別の顔は、「言葉の戦いの土俵」であり、切った切られたとまではいかなくとも、1体1で行うボクシングやテニスなどのスポーツに似ている。つまり天才でもない限り、試合の経験値が物をいう土俵である。したがって、ドイツに住む人達は、緊迫・緊張状態にも比較的慣れているがゆえに、怒りに対しても、やや冷めている。それに対して、筆者自身もドイツ人によく指摘されるが、日本人は一度衝突すると持続して根に持ちやすい。そういう人間をドイツでは「エレファント(象)」と表現し、やや蔑まれる。もし貴方が誰かと衝突したら、その時は怒ってもいい。ただ、時間が経っても貴方が相手に怒っているのは、それはもはや怒りではない。貴方の意地であり、非建設的な恨みのような感情だ。だから、もし誰かと -特に親しい人と- 意見が衝突した時は、言い方とか、タイミングに注意を払わず、「相手の言うことが客観的に正しいか?」という点に重きを置いて冷静に判断してみよう。貴方の怒りも少しは治るはずだ。そして、「語る文化」が持つ「ネガティブコミュニケーション」の側面を、貴方がより意識できれば、今後は緊張や緊迫状態に冷静に対処できるかもしれない。「語る文化」を推奨するならば、そのような「日独の土俵の差」を最初に教えてもらいたかったと筆者は今になって思うのであった。