bleibt_laenger’s blog

日独比較文化などなど

マスクをしない論理

先日、大学のドイツ語授業にお邪魔した際、マスクをするかどうかの確認を受けた。講師の方はドイツ人であり、あたり前のようにマスクをしない派であった。マスクをするorしないに関しては、Youtubeか何かで特集を見た覚えがある。特に欧州人は何故マスクを嫌うのかということに対して、欧州人は「口の動き」を見てコミュニケーションを行い、日本人は「目を見て」コミュニケーションを行うから、との解釈であった。そういう側面は確かにあるだろう。ただ、あまり筆者には腑に落ちない解釈であった。そこで、マスクの着用是非に関して、ドイツ人の友人に直接聞いてみることにした。「何故そこまでマスクを嫌うのか?」と。

返ってきた答えは「マスクだけを嫌うというより、間違った政府の政策に従うのが嫌なんだ。コロナの時、ロックダウン政策がいかに簡単に基本的人権を奪ったか。当時のドイツ与党や保健省(厚生省みたいなもの)のコロナ対策や方針に嫌気が差して、右翼政党(AfD)に投票しようと思ったくらいだ。1920年代のナチス台頭前の雰囲気がなんとなくわかる。マスクをするしないは、-アクティブに人を害することがない限り- 個人の自由であるべきだ。」との強い主張を頂いてしまった。うーん、これは根深い。その意味では、あたかも日本人は「何も考えずに政府の(マスクを推奨する)政策に従っている愚か者達」であるような批判に聞こえなくもない。最初に引用した講師の方によれば、“日本でマスクをしている人が多いのは、他者を尊重しているからではなく、「マスクをしない人間は非社会的である」とした「社会の同調圧力」に従っているだけだ”との見解であった。

同調圧力とは、多数の意見や考えに少数が従わなければならないとする集団内での無言の圧力であるが、貴方がマスクをしているのももしかしたら、本当は貴方の意志ではないかもしれない。ことによると、マスク着用以外のあなたの行動の多くも同調圧力によるものかもしれない。ではどうすれば貴方の判断や行動が同調圧力によるものではないと区別できるのか?それは外国に行けば良い。例えばマスクに関しては、マスクをしない人が大多数を占める国に行っても、貴方が自主的にマスクをしたがるかどうかで判断出来る。同調圧力とは特定の集団内で形成されるので、別の集団内では同様の同調圧力としては機能しない。筆者個人の経験で言えば、バカンス先で買ったお土産を友人に渡す行為は、ドイツに在住していても自発的に行ったので、「日本文化としてのおもてなしの心」は同調圧力によるものでないと実感できた。

 

これら一連のことを考えると哲学者のカントの定言命法を思い出す。


“汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ”

あえて意訳すれば、『貴方の意志の判断基準が、全ての人々がどのような状況下に置かれても正しいと考える基準となるように行動しなさい。』


してみるとマスクをしない論理は、正しいのであろうか?